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厳しい評価もあるけれど面白いじゃないか!
『10クローバーフィールド・レーン』
amazonプライムビデオで『10クローバーフィールド・レーン』を見た。
10クローバーフィールド・レーン (字幕版) 10クローバーフィールド・レーン (吹替版)
ユーザーコメントの評価は星3つレベルで高くない。(5段階評価)
ただし、映画のユーザー評価で星3つレベルは
大ヒット作ではない、大スターが不在、大作ではない、という作品が多く、
時々「星3つ以上に面白い」と思う作品も混じっている。
もちろん、駄作も混じっているけれど、星3つレベルは評価が大きく割れるゾーンでもあるのだ。
今回、『10クローバーフィールド・レーン』を見て十分面白いし、もっと評価されても良い作品だと思った。
『10クローバーフィールド・レーン』とは
まず、『10クローバーフィールド・レーン』がどんな作品かというと
交通事故の後、1人の女が生存者のいるシェルターで目覚める。男は、あるとてつもない破壊的な攻撃から女を救ったという。しかし男に疑問を抱き始めた女は真実を見極めるべく、外の世界へ踏み出そうとする。J・J・エイブラムスが放つ心臓が飛び出るほどの新たなスリラー。
主演:ジョン グッドマン, メアリー エリザベス ウィンステッド, ジョン ギャラガー
再生時間:1 時間, 43 分
(amazonプライムビデオより)
という作品だ。
先行する作品に『クローバーフィールド/HAKAISYA』がある。
クローバーフィールド/HAKAISHA スペシャル・コレクターズ・エディション [Blu-ray]
こちらは
N.Y.のアパートで日本への転勤が決まった青年ロブの送別パーティーが開かれる。ところが突如、正体不明の“何か”が出現して街を破壊。逃げまどう人々で街中はパニックに陥り、軍隊も出動して戦闘状態に突入する。恋人から助けを求める電話を受けたロブは、友人たちとともに彼女の救出に向かうが…。
主演:マイク・ヴォーゲル, リジー・キャプラン, ジェシカ・ルーカス
再生時間:1 時間, 24 分
(amazonビデオより)
という内容だ。
『10クローバーフィールド・レーン』と『クローバーフィールド/HAKAISYA』は監督もキャストも、舞台となる場所も異なる。
共通しているのは正体不明の何かが襲来するという設定と、プロデューサーのJ・J・エイブラムスだけ。
そのエイブラムス曰く、この2作品を
血のつながった映画
と表現している。
『10クローバーフィールド・レーン』と
『クローバーフィールド/HAKAISYA』のちがい
『10クローバーフィールド・レーン』は続編と言い切れない微妙なポジションにあるのだ。
なぜ、シリーズ作品のはずなのにこういう歯切れの言い方になったのか?
それは前作『クローバーフィールド/HAKAISHA』が正当な怪獣映画のスタイルをとっていたからだ。
だから舞台は都市で逃げ惑う市民や戦う軍隊、そして、正体不明の巨大な何かも登場する。
怪獣映画を見たいファンには見たい設定が随所にある。
それに対して『10クローバーフィールド・レーン』はシェルターという密室を舞台にしたサイコ・スリラー映画のスタイルをとっている。
シェルターに逃げ込んだ理由が正体不明の何かの襲来なのだ。
だから、『10クローバーフィールド・レーン』には『クローバーフィールド/HAKAISHA』のあった市街戦や都市の破壊、逃げ惑う人々は出てこない。
そう言ったものを期待しているとガッカリすることは間違いない作品だ。
でも、そう言った正当な怪獣映画スタイルは『シン・ゴジラ』や『キングコング:髑髏島の巨神』に求めることだ。
では、『10クローバーフィールド・レーン』に何を求めるべきか。
言い方を変えると『10クローバーフィールド・レーン』はどうすると楽しめるか?
なぜ、『10クローバーフィールド・レーン』は
セリフのない長いシーンで始まるのか?
Wikipedia情報だが、前作『クローバーフィールド/HAKAISHA』はエイブラムスが来日した時、原宿キティランドでゴジラのソフビを売っているのを見て「日本には怪獣が文化として根付いている」と感銘を受けて製作されたと書かれてあった。
このエピソードの真偽はわからないが、
『クローバーフィールド』は怪獣映画に触発されて作られた、という点は間違いないだろう。
『クローバーフィールド/HAKAISHA』と『10クロバーフィールド・レーン』の2作を見てはっきりしたのは、正体不明の何かの出現によって情報不足に陥った市民の姿を描いているということだ。
前作は大都市における情報の喪失を映画いていた。
それに対して『10クロバーフィールド・レーン』はシェルターという密室の中での情報の喪失を描いている。
象徴的なシーンがある。
冒頭、日常生活を贈る主人公の女性の行動が描かれる。
でも、この長いシーン(室内、ドライブ)にはセリフが一切ない。
初めてセリフが登場するのは男性(彼氏)からスマホにかかってきた電話の音声だ。
二人は喧嘩をしていたので男性の声はスマホのスピーカーから一方的に語りかける。
しかし、怒っている女性は一言も発せず、スマホの電話を切る。
その直後、車を一人で運転していた女性は事故に遭い、
目覚めた場所(実はシェルターの中)で携帯をかざすと圏外になっている。
そこから普通の映画のようにセリフのやり取りが始まる。
この時、女性は圏外の表示を見て恐怖と絶望感を味わっている。
僕たちの日常生活でもスマホが重要な役割を果たしている。
圏外だとイラつくし、紛失したら軽いパニックになるのではないだろうか?
『10クロバーフィールド・レーン』ではスマホが情報の喪失を描くツールとしてうまく使われている。
情報機能喪失というパニック感が怪獣によって作られたらどうなるのか?
というこれまでの怪獣映画になかった新しい設定が『クローバーフィールド』シリーズの見所なのだ!
つまり、『クローバーフィールド』シリーズで描かれる本当の“怪獣”は・・・・
このシリーズの主人公は怪獣ではなく人間たちだ。
不条理な事態によって発生した情報不足の中で人間は信念を持って行動できるか?ということがテーマになのだ(と僕は思う)。
これは9.11の時、ワールドトレードセンターに旅客茎が次々に突っ込み、やがて崩壊していくのを目撃しているのに、何が起こっているのか分からなかった恐怖と繋がっている。
先進国の大都市が一方的に破壊されているのに何が起こっているか分からない・・・
という恐怖はこの時、初めて誕生した恐怖なのだ。
『クローバーフィールド』シリーズには宇宙から来た侵略者が怪獣映画らしく登場するが、彼らに対する説明はほとんど無い。
つまり、『クローバーフィールド』シリーズの本当の怪獣はこのエイリアンではなく、
先進国の大都市が一方的に破壊されているのに何が起こっているか分からない・・・
そんな「巨大な情報の喪失」をモンスターとして描く怪獣映画なのだ。
まとめ:21世紀に誕生した新しい恐怖を描く怪獣映画
例えば、セリフが多すぎて早口で喋るように演出した「シン・ゴジラ」を情報戦の怪獣映画だとすると、
『クローバーフィールド』は情報喪失の怪獣映画だ。
それゆえ、『シン・ゴジラ』は日本という国家を背負う人たちとゴジラの戦いの話だが、
『クローバーフィールド』は国家とは無縁の人たちが怪獣で混乱した状況をいかに生き抜くかを描いた作品だ。
実は、これまで作られたきた怪獣映画は、怪獣が街を破壊するシーンがあるためか、国家vs怪獣という図式が基本になっている。
『インデペンデンス・デイ』も同じ構図である。(戦う大統領とエイリアン)
『クローバーフィールド』シリーズはこう言った図式を打ち破り、怪獣vs名もなき市民(国家は脇役)という図式を打ち出した。
21世紀に誕生した新しい恐怖を怪獣映画に託して描いた画期的な作品として、このシリーズはもっと評価されるべきだ。
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